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▼ 北辰群盗録   [RES]
  あらや   ..2018/04/10(火) 11:07  No.449
   一八七八年(明治十一年)前後から一八八五年(明治十八年)にかけて、ロシア極東地方アムール川河口流域一帯で、馬に乗って武装した一党がロシア人村やロシア軍駐屯地をしばしば襲った。極東少数民族の馬賊団とみられているが、部族は特定されていない。
 最盛期、彼らの総勢は百を超えていたと推定されており、流刑地から脱走したロシア人政治犯やポーランド人も加わっていたと言われる。ロシア軍による追討が何度かおこなわれ、一八八五年の末には、馬賊団はアムール川上流地方へと追い払われた。その後この馬賊団はロシアの記録から消え、二度と登場してこない。
 ロシア連邦ハバロフスクの市立博物館に、彼らが掲げていたという一枚の粗末な旗が残されている。ロシア軍が一八八五年に、ハバロフスク近郊で鹵獲した品々のうちの一点という。黒地に白い星印が縫い取られており、白い星の部分に、うっすらと文字が書かれている。日本人もしくは中国人であれば、それが「共和国」という漢字であるとわかる。
(佐々木譲「北辰群盗録」/史実によるエピローグ)

というわけで、『英龍伝』も出たことでありますし、幕末三部作に突入しようかな…という昨今です。大河ドラマ『せごどん』。薩摩弁、何言ってるのか全然わからない。先週も、薩摩藩士の青春群像観てたら、だんだん腹が立ってきて途中でテレビ消してしまったよ。


 
▼ 婢伝五稜郭  
  あらや   ..2018/04/29(日) 17:09  No.450
  「樺太には、じっさいのところ、どのくらいの榎本軍がいるのでしょう」
「降伏前に脱走した者、およそ三百とも言う。その一部は、すでに渡り切ったことだろう」
「誰かが統べているのですか。率いている誰かがいるのですか」
「伝習隊に、兵藤俊作という男がいた。聞いた話では、榎本総裁は室蘭にいた沢太郎左衛門以下二百の将兵に降伏を伝えよと、兵藤俊作を室蘭に派遣した。ところが兵藤俊作、降伏を伝えた後、降伏を拒む者は自分に続けと、室蘭から蝦夷が島の奥地に消えたそうだ。室蘭から彼に従った者、数十いたとか。おれたちも、兵藤殿に合流しようと考えていたのだ。その前に薩摩部隊に出くわしてしまったのだが」
(佐々木譲「婢伝五稜郭」)

やー、つながりましたね。こうなると『五稜郭残党伝』も読んぢゃおうかな。今年は桜も早いみたいだから、五稜郭も連休で満開かな。

 
▼ 羊蹄山  
  あらや   ..2018/04/29(日) 17:24  No.451
   峡谷をはさんで打ち合った日から六日目である。
 広大な原野に入ったその日の夕刻、志乃たちはとうとうイプツのコタンを遠目に見ることができた。
 和人地の山を下り、シリベシという富士にも似た形の山の裾野を横切って、和人が拓いた街道に入った。本願寺道と名がついており、浄土宗の僧侶が開削したものだという。内浦湾の虻田という土地と、イシカリの浜の漁場をつなぐ道だ。厳しい峠越えがあるため、蒸気船がよく使われるようになったいまは、あまり通行人もなくなったという。それでもいちおう薩長の討伐隊を警戒しながら、志乃たちはこの道で峠を越えた。途中から、トヨヒラペツという川に沿って下る道だ。そうして昨日の夕刻、イシカリの広野に入ったのだった。
(佐々木譲「婢伝五稜郭」)

人間像ライブラリーに『文芸作品にそびえる羊蹄山』というのをアップしました。山麓のアイテムが出てくるとメモする癖は今も身体に残っています。

 
▼ 五稜郭残党伝  
  あらや   ..2018/05/15(火) 08:35  No.452
   それから二日後の午後。
 シルンケを含めた三人は、千歳の邑を見下ろす丘の端に着いた。
 千歳は本来、支笏、と呼ばれていた土地である。大きな窪地、の意味であるが、支笏が「死骨」に通じるということから和人はこの地名を嫌った。近辺では鶴が多く生息していたから、支笏に代わって、千歳、の名がつけられたのである。支笏の名は、いつしか千歳の西方にある陥没湖をさすようになっていた。
(佐々木譲「五稜郭残党伝」)

いや、楽しめますね。昔やっていた文学散歩「バスの旅」では、行く先々の土地にまつわる文学作品を集めたアンソロジー冊子を必ずつくっていました。『支笏文集』もあるんだけど、なんかライブラリーにアップしたくなった。ここ三十年間の文書を整理・ファイルしたので、そういうことも可能になってきています。「残党伝」ですかね…


▼ おらおらでひとりいぐも   [RES]
  あらや   ..2018/04/01(日) 10:44  No.447
   ファンファーレに押し出されるようにして上京したとき。桃子さんの回想は必ずそこから出発する。あのときを境に確かに桃子さんを取り巻く風景は一変した。山の子から都会生活へ。良い悪いは考えない。とにかくそうなったのだ。
 上野駅に降り立ったときのあの心細さ、それでいながら何とも言えない解放感を桃子さんは今に忘れない。たいへんなことを仕出かしてしまったという思いはあった。が不思議と後悔はなかった。もう引き返すことなどできないのだ、ならば後悔なんかしない、と自分に言い聞かせて。でもすぐにそんなことも不要になった。目新しさ、何もかも新鮮で心を奪われて、それに後悔だのなんだの後ろ向きのことを考える前に、まずここで働いて食べていかなければならないのだ。仕事を探した。何でもよかった、住み込みという条件さえクリアできれば。すぐに蕎麦屋の店員募集の張り紙を見つけた。東京オリンピックの好景気に沸くこの街で贅沢さえ言わなければ何とかなりそうな気もした。
(若竹千佐子「おらおらでひとりいぐも」)

東京オリンピックと言われると、私には必ず思い浮かべる作品があります。『ひよっこ』じゃありませんよ。

 宮本先生の話によると、東京は今、三年後のオリンピックを控えて、空前の好景気に沸いているらしい。空港、高速道路、競技場などが急ピッチで建設され、とにかく人手不足だという。
 たまに父を見舞いに行く市街地でさえ遠く感ずるのに、東京などとても想像がつかない。それに、私がいなくなったら信はどうなるのだろう。山羊の乳は誰が搾るのだろう。父は、母は、畑は……
(峯崎ひさみ「小豆」)


 
▼ 穴はずれ  
  あらや   ..2018/04/01(日) 10:49  No.448
  団塊の世代の人たちの思春期を語る言葉として「三年後のオリンピック」ほど的確な言葉を他に知らない。峯崎さんの『穴はずれ』、また読み返しました。また感動した。

『おらおらでひとりいぐも』には、感動したとか、そういうものはないのだけれど、なにかしら、じわーっと自分の過去があれこれ思い出されてくる小説ではありましたね。

昨日は歯の定期チェックで久しぶりに京極町に居ました。学校が春休みのせいかもしれないけれど、通りに人影が全然なくて寒々しい町だった。一年前のこの日、「人間像ライブラリー」やりたくてこの町を出たんだな…とか急に思い出した。

今やってる『人間像』第32号のデジタル復刻が終わったら、『穴はずれ』の復刻に取りかかろうかとちょっと思いました。アマゾンなどでも流通している現役の本なのでデジタル化は遠慮していたのだけど、でも、『穴はずれ』が入っていない「人間像ライブラリー」なんて意味ないな…と京極の町の様子を見ていて思ったのです。よい作品だからこそ、紙でこの手にしたい…と考える人も出てくるだろうし。けして紙の邪魔にはならない。そういう風に生きて行こうとも思いました。


▼ 初陣・転迷・宰領・自覚・去就   [RES]
  あらや   ..2018/03/28(水) 14:36  No.446
  「女性だから、仕方がないだろう」
「それが悔しいのです」
「悔しがる理由がわからない」
「それは、竜崎さんが、女性になったことがないからです」
「当たり前だろう」
「体力でも、技術でもかなわない。それが悔しいのです」
「不思議だな」
「何が不思議なんですか?」
「どうして、女性であることを利用しないのか、不思議なんだ」
美奈子は、一瞬言葉を失った。
(今野敏「訓練」/「自覚 隠蔽捜査5.5」)

旭川出身の畠山美奈子さん、横田めぐみさんを奪還してほしい。

『隠蔽捜査6/去就』を読んでいる時、部屋のラジオは佐川宜寿元理財局長の国会証人喚問を流していたので、感想。逢坂誠二がさかんに「あなたの人生、これでいいのか?」みたいな泣き落とし戦術を使っていたけど、これ、とんでもない三文小説。佐川氏が感極まって真実(?)の暴露でも始めると夢見ていたのだとしたら相当に甘い人間たちだと思いましたね。



▼ 隠蔽捜査   [RES]
  あらや   ..2018/03/22(木) 09:52  No.442
  「美紀と話をしてくださいね」
「子供のことはおまえに任せてある」
「結婚の話ですよ。しかもお相手は、あなたの元上司の息子さんだし……」
「良縁だ。何の問題もない」
「美紀は迷っているようですよ。なにせ、まだ若いですし……」
竜崎は、新聞をめくり必要な情報を頭に叩き込もうとしていた。
「わかった」
また生返事をする。
  (中略)
五紙全部に目を通し終えたとき、息子の邦彦が寝間着代わりにしているトレーナー姿で現れた。
「朝ご飯は?」
妻が邦彦に尋ねる。
「コーヒーだけくれよ」
竜崎は新聞をたたんでテーブルの端に置いた。
「予備校はちゃんと行ってるんだろうな?」
尋ねると邦彦は、眼を合わさぬままこたえた。
「ああ。だからこんなに早起きしてるんじゃないか」
(今野敏「隠蔽捜査」)

ふーん、うちの家族構成と同じだ…


 
▼ 果断  
  あらや   ..2018/03/22(木) 09:56  No.443
  「お母さん、だいじょうぶ? 顔色が悪いわよ」
竜崎はその言葉に驚いて、妻の顔を見た。たしかに、いつもより顔色が悪い。朝起きてからずいぶんと時間が経っているが、まったく気づかなかった。
「ちょっと、胃の具合がね……」
「無理しないで、寝てなさい」
竜崎が言った。
「あたしが寝てたら、あなた朝ご飯を食べられないでしょう?」
「もう朝食の用意はできている。だから、寝ていいと言ってるんだ」
「ちょっと、お父さん、その言い方ってないでしょう?」
美紀が竜崎を睨んだ。竜崎はぽかんと娘を見返した。
「なぜだ?」
「朝食の用意が済んだらもう用はないから寝ろってこと?」
「料理を始める前に母さんの不調に気づいたら、別の対処法があったかもしれないが、実際にもう朝食のしたくは終わっているんだ」
「どうしてもっと早く気づかなかったのよ」
「新聞を読んでいた」
(今野敏「果断 隠蔽捜査2」)

家族の朝食風景から始まる書き出しはいいね。『隠蔽捜査』が2005年、『2』が2007年の出版。美紀の就活が描かれるのには理由があると思う。

 
▼ 就職氷河期  
  あらや   ..2018/03/22(木) 10:03  No.444
  就職氷河期の一時終結と既卒者の就職状況
2000年代半ばの輸出産業の好転で、雇用環境は回復し、2005年には就職氷河期は一旦終結した。新卒者の求人倍率は上昇し、2006年から2008年の3年間は一転、売り手市場と呼ばれるようになり、有効求人倍率は2006年から2007年にかけて 1 を上回った。13年近くにわたる採用抑制の影響により、多くの企業で人手不足となっており、労働環境が苛酷になるブラック企業が増加した。
(ウィキペディア)

就職氷河期は脱したみたいだが、この不景気の十年間が若い人たち(特に中・高生)に与えた傷は相当に深いものではないかと考えています。人生観や世界観がかなり変わった世代が生まれた。で、現場は、たぶんあそこだった…と。この感覚は現在まで続いていて、湧学館にいた時なんかはひしひしとそれを感じていました。後遺症みたいな。

『隠蔽捜査』、面白いですね。(今ごろ…)

 
▼ 疑心  
  あらや   ..2018/03/22(木) 10:15  No.445
  「何だ、あれは……」
竜崎はつぶやいていた。妻の冴子の声が台所から聞こえてきた。
「あなた、高校生とかの頃に、好きだったアイドルはいなかったんですか?」
言われて考えてみた。
「記憶にないな」
「きっと、邦彦は、その山咲真美ってアイドルに夢中なんですよ」
「受験勉強の最中だろう。東大受験は甘くないぞ。一心不乱に勉強するくらいの覚悟がなければ……」
「それとこれとは、別問題ですよ。若い子は誰だって自分だけのアイドルがいるものです。疑似恋愛みたいなものですかね……。そこからやがて本当の恋愛に移行していくんです」
「疑似恋愛……。それ自体が無意味だと思うが……」
「意味があるとかないとかじゃないんです。好きになるのはどうしようもないんです」
「そういうものなのか..」
「まったく、こんな唐変木、見たことない」
唐変木などという言い方は、今時死語だろうと思った。
(今野敏「疑心 隠蔽捜査3」)

『疑心』の出版は2009年3月。初出は、「小説新潮」の平成20年(2008年)の6月号〜10月号です。この日付は大事かもしれませんね。というのは、

2008年9月15日。今から思えば、この日が世界経済の「転機」になった。この日、米国の誇る大手投資銀行であるリーマン・ブラザーズは、連邦破産法11条を申請し、破綻した。
(真壁昭夫「2009年世界経済が「100年に一度の危機」を乗り越えるために」)

リーマン・ショック直前の、竜崎家ではありました。


▼ 寮生 一九七一年、函館。   [RES]
  あらや   ..2018/03/04(日) 18:43  No.439
   勉強しながら聴く、ラジオの深夜放送が好きだった。
 道央の町に住んでいるときは、北海道放送(HBC)の深夜放送を聴いていた。『オールナイトほっかいどう ヤング26時』という番組だった。ローカル局の人気ディスクジョッキーがいたのだ。
 白馬康治、柴田恭、バード山本、金子亭ピン助、黒沢久美子……。
(今野敏「寮生」)

ふーん、こんなにディスクジョッキーいたっけ? 白馬康治が毎晩出ばっていたような印象ですけど。どうして北海道はこういう変な頑張り方をするんだろうって、当時も思ってました。「パックインミュージック」が聴きたいだけのに、なんでこんな陳腐な道民たちにつきあっていなきゃならないのか…と。

1955年の三笠市生まれとあるから、私と三つ違いですか。70年安保を高校三年で迎えるのと、中学三年で迎えるくらいの違いですね。(←この小説のキモでもありますね。) 函館ラサールの一年、二年、三年生の違いとか、遺愛の二年生という設定が上出来でした。今野敏の本読むのこれが初めてなんだけど、『隠蔽捜査』読んでみようかな。


 
▼ 1991年  
  あらや   ..2018/03/16(金) 18:04  No.440
  「コピーの脇にある機械は何だい?」
 佐伯は尋ねた。
「レーザー・ファイリング・システム」
「何だって?」
「レーザー光線を利用するコンパクト•ディスクというのはご存知ですね。そのコンパクト・ディスクにデータを入力したり、検索したりする機械です。つまり、コンパクト・ディスク一枚が、ファイリング・キャビネットに当たるわけです。コンパクト・ディスク両面にA4で約一万枚のデータが入力できます」
(今野敏「潜入捜査」)

私にとっては「やあ懐かしいな…」としか言い様のない時代。1991年(平成3年)。小樽に来た年だったかな。車にスワン社機材の一切合切を詰め込んで北日本フェリーで来たんだけど、その時のパソコンはNECの16ビットパソコンだったと思う。まだ「ケータイ」は登場していない。勤めた女子短大で、ただの小型電話だった携帯電話が、デジカメやメールができるくらいまでに進化した十年間の女の子の変化を眺めてすごすことになる。

なんで、こんな昔の本を読んでいるかというと、『隠蔽捜査』が常時貸出中で、なかなか第1巻から揃わないから。この本は、1991年『聖王獣拳伝』(←時代だね!)のタイトルで天山出版から出たものが、『隠蔽捜査』ヒットのあおりをくって再発されたものらしい。書架にはこういうものしか残ってない。私は全然OKですけど。

 
▼ 2010年  
  あらや   ..2018/03/17(土) 09:10  No.441
  「おまえの得意のインターネットで調べてみたらどうだ?」
「あ、そうですね」
木島は携帯電話を取り出して、しきりにボタンを押しはじめた。
皮肉のつもりで言ったのだが、通じない。木島が手にしているのは、普通の携帯電詁には見えなかった。つい、興味を引かれて尋ねた。
「それ、何だ?」
「携帯ですよ」
「ただの携帯には見えないけどな……」
「ノキアのスマートフォンです。海外では、これを持つのはジャーナリストやビジネスマンの常識ですよ。フルブラウザなので,パソコンのサイトが見られるんです」
「日本ではあまり普及してないな……」
「キャリアのシステムが海外とは違いますからね。まったく、日本のキャリアはどうかしてますよ。ワンセグだ、ミュージックだ、ムービーだって、くだらない機能ばかり優先して、こういう基本的に大切な機能を持つスマートフォンをないがしろにするんだから……」
木島の携带電話についての講釈など聞いているつもりはなかった。
(今野敏「天網 TOKAGE 2」)

スマホ前夜。

2011年2月、千葉の峯崎ひさみさんを訪ねた時、東西線の中で向かいの座席の男がやってる動作が変だ。指で何かやってるのだが、子どものゲーム機でもないし。何、あれ?
というのが最初の目撃だったのかな。その年の大晦日、小樽へ帰る電車の中で、声高にケータイで話しているオバサン以外、全員下を向いてスマホとお話している光景を目にすることになる。


▼ しんせかい   [RES]
  あらや   ..2018/02/25(日) 18:07  No.438
  女子カーリングで全世界に飛び交っている北海道弁について書きたいなーと思ってたのだけど、「人間像」第30号と格闘している内に、世界の方が「そだねージャパン」まで一気に駈け上がってしまった。まあ、いっか。

 さっき預けに行って来たしょ。見てたしょ
 聞きなれない方言だ。いや聞いたことがある。北海道だ。「そうだよ」男はいった。明日受けるそれは北海道にある。富良野というところだ。
(山下澄人「率直に言って覚えていないのだ、あの晩、実際に自殺をしたのかどうか」)

三年前の芥川賞なら、待たなくても借りられる。で、湧学館の時には「読まなくちゃなー」とか思ってる内に読み忘れたものを今頃読んでるわけです。『しんせかい』はフツーでした。『限りなく透明に近いブルー』の昔から、自分の青春は何ものにも代えがたいほど大事なものなのだろうけど、私にはフツーでした。(芥川賞審査員はこの手に弱いね…) わずかに希望を感じたのは、同じ本に収録されている『率直に−』かな。この「富良野」の出し方はカッコいい。

「そだねー」もよかったが、北朝鮮の猿芝居をぶっ飛ばした女子アイスホッケーには大拍手です。あの試合以後、北朝鮮の何たら美女応援団が間抜けそのものに見えた。今日のテレビ見ても、「まだ居たのかー」という感じ。旧世界だわ。



▼ 虚洞   [RES]
  あらや   ..2018/02/03(土) 13:31  No.437
   云えばそれだけかも知れない。アプレと多情女。二人に変質者の代名詞を与えさへすれば、事件の本質は表面上丸く納るかもしれない。然し宮脇は〈同年代の男〉として〈絶望的情欲をかき立てた女〉として、此の二人に直接つながつていそうな気がして、死者を嘲笑しているような記事にレジスタンを感じた。アプレとは何か。戦争下に生れ育つて来た人間の、傷だらけの精神を理解しようとせず、古めかしい既成観念だけで、世人は青年を一方的に非難しようとしている。多情女とは何か。デモクラシーの看板の裏では、自由など何一つも許されていない。その中で、せめて肉体だけでも、自由に生きようと悶えた女なのだ。多情なんて軽々しく云うけれど、世の薄情者よりは、多情の方が余程尊いでわないか。
(門脇幸夫「泣きつ面」第四回)

あのガリ版刷りだった「人間像」が、よくぞここまで来たものだ! そう感じさせるのが、門脇さんの『泣きつ面(「虚洞」第二部)』でしょう。「人間像」第28号までの中でも断突の長さの作品故、ここまで引っぱって来て最後でコケたらどうしよう…(同人に与えるショックも相当だろうな…)とかなり本気で心配していました。

先ほど『泣きつ面』デジタル化、完了。心配など無用でした,。見事なフィニッシュだった! 「人間像」の同人たちは、この後、このレベルを引き受けて作品を書かなければならなくなった。武者震いですね。門脇さんの名前、第35号あたりで消えてしまうんですね。惜しいです。でも、ここまで自己や時代を突き詰めたなら、本望だったのかもしれません。



▼ ロマノフ帝国   [RES]
  あらや   ..2018/02/02(金) 09:22  No.436
   「みんな聞いてくれ。ロマノフ軍の北海道上陸、いや本州上陸さえも、ないとは言えない情況のようだ。もはや現実のものと考えてよい。〈緊急プランQ号〉に従い、各自、電話の不通が復旧次第、道東方面の取引先へ連絡し、もし引き上げるのであれば、わが社の室蘭倉庫に集結待機するようにと伝えてくれ。実は、わが社は貨物船を室蘭港に待機させてある。戦況の進展次第で出港日を決めるが、時間はあまりないと考えたほうがよい。ロマノフ潜水艦隊の能力は決して侮れない。いつ、わが国全港湾に対する封鎖作戦が行われるか、予断を許さぬ切迫した情勢と考えてくれ」
 その日の午後には、小樽支店社員の家族は赤井川に疎開した。ここまで退避すれば比較的安全に、倶知安→喜茂別→伊達経由で室蘭に向かうことができるからだ。
(荒巻義雄「ロマノフ帝国の野望」)

うーん、いいですねえ。(今、窓から見える小樽湾に軍艦島みたいな船が通っているけど、何だろあれ…)
演歌みたいなもので、「日露戦争で日本が負けていれば」という着想(メロディー)が生まれれば、そこへ自在に「小樽」や「倶知安」というフレーズを組み込んで行くんですね。楽しめます。



▼ ル・グウィン   [RES]
  あらや   ..2018/01/26(金) 09:50  No.434
  ル•グウィンさん死去 88歳 「ゲド戦記JのSF小説家
【ロサンゼルス共同】米メディアによると、ファンタジー小説「ゲド戦記」などで知られる人気SF作家アーシュラ・K・ル・グウィンさんが22日、西部オレゴン州ポートランドの自宅で死去した。88歳だった。詳しい死因は不明。数ヶ月前から体調を崩していた。
 1929年、西部カリフォルニア州バークリー生まれ。ニューヨークのコロンビア大などで学んだ後、フルブライ卜奨学生としてパリに留学。歴史学者と結婚後、夫がポートランド州立大教授となったため、ポー卜ランドで生活し、50年代末から小説を書き始めた。
 68年に「ゲド戦記」の1作目「影との戦い」を発表し、2001年まで6作を出版した。69年の「闇の左手」で優れたSF作品に贈られるネビュラ賞、ヒューゴー賞などを受賞、広く知られるようになった。
 作品は各国で翻訳され、日本にもファンが多い。06年には「ゲド戦記」をスタジオジブリがアニメ化した。
(北海道新聞 2018年1月24日夕刊)

悲しい。どんどん時間との戦いになってきている。「ゲド戦記」については、元太君との懐かしいインタビューがあります。元気でやってるかい。

http://lib-kyogoku.jp/yugakukanhp/PDF/paper/paper46.pdf


 
▼ ナタリー  
  あらや   ..2018/01/30(火) 13:43  No.435
   ナタリーは『嵐が丘』を愛読している。ブロンテ一家のこともよく知っていた。百五十年前、イングランドのどことも知れぬ田舎の牧師館に住んでいた四人の天才たち。どれほどさみしい日々を送ったことだろう? ナタリーがくれた伝記を読んで、気がついた。自分は孤独だと思っていたが、このきょうだいにくらべたら、ぼくの生活なんて賑やかな社交パーティの連続だ。それでも、ブロンテきょうだいはおたがいの存在に支えられていた。
(アーシュラ・K・ル=グィン「どこからも彼方にある国」)

図書館に荒巻義雄を借りに行ったら、児童書架に見つけたので。

へえ、ル・グウィンも『嵐が丘』なのか…(小さな共感) あれはサルトルの『嘔吐』だったろうか、旅のホテルの部屋に入ったボーヴォワールがまず一番に行うこと、それは、エミリ・ブロンテの肖像画を壁に掛けること…っていう場面が妙にこの歳まで印象に残っているんだけど。それに似たような共感ですね。

1976年のアメリカ(西海岸?)のヤングアダルト小説が、なぜ2011年のあかね書房(おお!懐かしい。まだ健在なのね…)から出版されるのかよくわからないが、小樽の図書館にあったのはラッキーでした。


▼ 東京の下町   [RES]
  あらや   ..2018/01/18(木) 18:53  No.432
  初期「人間像」デジタル復刻と併走するように半年間読み進んで来た『吉村昭自選作品集』(新潮社,1991)ですが、ついにラストの『別巻/東京の下町ほか』です。

吉村昭。昭和2年、東京日暮里の生まれ。針山和美氏が昭和5年の倶知安生れですから、例えば、敗戦直後の昭和21〜22年なら、吉村昭は学習院高等科文科甲類に合格、針山氏は戦中の勤労動員から倶知安中学に復学といったように「大学/高校」「東京/北海道」といった微妙な違いが大変興味深かった。勉強にもなった。さらに、吉村昭は昭和23年の肋骨5本を切除する大手術を挟みますから、それぞれの同人雑誌時代が微妙に重なって来ていて、それぞれの作家にとって転換点にあたる重要作品、例えば吉村昭なら『少女架刑』、例えば針山氏なら『百姓二代』を書いたのがこの歳だったのか…みたいなことをよく考えました。いい体験でした。


 
▼ やみ倉の竜 ほか  
  あらや   ..2018/01/18(木) 18:56  No.433
  というわけで、ポスト「吉村昭」というか…

夜、布団の中で読む本を探して放浪中です。しかたないので、佐々木譲『真夏の雷管』も、若竹千佐子『おらおらでひとりいぐも』も、リクエスト出しました。『真夏』が24人待ち、『おら』が7人待ち。『おら』が7人で済んだのは、リクエスト申し込んだのが芥川賞受賞前だったから。(ラッキーと言えるのかな…)

柏葉幸子+佐竹美保の『やみ倉の竜』は「北海道青少年のための200冊」コーナーに別置されていたのをたまたまゲット。よかった。でも、同時期に発売された『涙倉の夢』はついぞ書架で見たことがない。(もうこれもリクエストかな。読みたい本は全部リクエストで出して、届いたものから読んで行くような生活になって行くのかな…これからは)

「小樽」本ということで借りて来た二冊。一冊は駄作もいいところでしたね。名誉も生活もあるのだろうから著者名も書名も明かさないが、こんな本、紙資源の浪費だ。もう一冊、荒巻義雄『ロマノフ帝国の野望』は今夜から読書開始。








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