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司書室BBS

 
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▼ 須田茂さん   [RES]
  あらや   ..2018/07/05(木) 08:44  No.605
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先週の内に『近現代アイヌ文学史論〈近代編〉』を読了していたのですが、第35号作業が少し長びいたので今になりました。

かなり驚いた。小樽新聞の違星北斗短歌には並木凡平の手が入っているのではないかという考察が「註」の個所に廻ったり、溢れる情感で書かれていた知里幸恵の「回復」が普通の論文文章に縮められていたり、と、『コブタン』発表時にはそこが須田茂さんの真骨頂だと思っていたところが、みんなきれいに区画整理されて険しい地域もなく安全な町になっていました。単行本になるって、こういうことなのでしょうかね。少し淋しいな。

でも、こういう形で「近現代アイヌ文学史」の全貌を私たちの前に出してくれた歴史的意義は揺らぎません。私はここで語られた本の全てを読みたいと思いました。それを実現する人間像ライブラリーをちょっと想いましたね。(寿郎社が『近現代アイヌ文学史論〈資料編〉』を出版してくれるのでもOK)

(今は山科清春さんと言うのかな…)山科さんが違星北斗について〈自らが縫い針のようになって、同族の間に糸を通し、「点」と「点」をつないで「線」にしていったのだ〉と言っていたことが、この本によってようやくイメージすることができました。北斗の全作品を読めるのもライブラリなんだろうが、「縫い針」の姿を実証するには「近現代アイヌ文学」ライブラリーが必要と考えます。



▼ 「人間像」第35号   [RES]
  あらや   ..2018/06/30(土) 18:25  No.603
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本日、「人間像」第35号デジタル化、完了。かかった時間は「79時間/延べ日数12日間」でした。現在、ライブラリーの収録タイトル数、「645作品」。
第35号は、平木國夫氏の『秘伝』(原稿用紙200枚)を含む109ページの大冊なので、少し時間がかかりました。『借家法』(第32号)も凄かったけれど、『秘伝』はもっと凄かった。他の追随を許さずとはこの人のためにある言葉か。末恐ろしい。というか、この先、軽く百ページを越える号がばんばん出てきますから(400ページ強なんて号もある!)、こんなところでグズグズしているわけにはいかないのですけれどね。

  御礼
 発行基金寄附
 金壱千円也
 道教委後志事務局 前田克己様

編集後記の横にこんな一文が。前田先生、いい仕事をしていますね。


 
▼ 上京メモ  
  あらや   ..2018/06/30(土) 18:29  No.604
  第35号には、もうひとつトピックが。

針山和美=編集のバトンを渡部に渡して了つたが、一向に書けそうもない。モソモソと自由放談あたりで御茶を濁して居るので、心配した東京支部の同人達から、経費は負担するから気分転換に遊びに来ないかと誘惑?され、教員免許の単位も獲らなければならないし、夏休みはどつちにしようかと思案して居る。
(「人間像」第35号/同人近況)

「東京支部」だって(笑)

この時の話は実現して昭和30年7月25日〜8月6日の針山氏上京となるのですが、その様子を私たちが知ることになるのは、2003年11月発行の『針山和美追悼号』というのがとても悲しい。「追悼文を書く気持ちはない」朽木寒三氏が、あえて追悼号に寄せてきたのが『針山和美の上京メモ』なのでした。いろいろな意味で感じ入った。朽木氏ならではの名文と今でも思います。

針山氏の命日も近づいていますね。じつは私も七月下旬に用事があって千葉へ行くかもしれません。ぼそぼそインターネットで「お、浦安には岡本太郎があるのか!」とか「シオンもある!」とかひとりで勝手に盛り上がっています。


▼ 「人間像」第34号   [RES]
  あらや   ..2018/06/16(土) 18:18  No.600
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6月15日、「人間像」第34号のデジタル化、完了。かかった時間は「55時間/延べ日数9日間」でした。現在、ライブラリーの収録タイトル数は「635作品」です。第34号作業は、間に12日の北朝鮮ショーが入ったので間が空きました。

被害者家族は勿論、横田拓也さん(49)や飯塚耕一カさん(41)までが一様に「これが最後」と語っていたのが心に残ります。じつは私も「これが最後」と考えていました。


 
▼ 戦争  
  あらや   ..2018/06/16(土) 18:23  No.601
   「馬鹿らしいや」拓二は、ぽつんと呟く様に云う。
「馬鹿らしい?」 「兄さん、金なんか貯めて戦争が始つたら何うするんだ。水爆ひとつ落ちれば、それでパアだぜ。今のうちに面白く暮した方が得だよ」達也は、どきつとして弟の顔を見詰めた。
(渡部秀正「霙」)

いま、大学生がさかんに原水爆の禁止とか世界平和のあれこれを叫んでいるが、十年前の大学生は、スキヤ橋のたもとにメガホンをもつて立ち、お国のために弾丸切手を売つたものだ。背後にそそり立つ日劇の建物いつぱいに、突撃する兵士の像が描かれ、「撃ちてし止まむ」、デカデカと大書してあつた。
(朽木寒三「棒杭」)

『人間像』の両才能が揃ってアメリカの水爆実験(第五福竜丸)に触れていた。それぞれの人生観(小説)の中に自然に組み込んでいるのが見事です。二人ともメキメキと音がするくらい腕が上がってきている。

昭和29年は9月の「洞爺丸台風」で語られがちですが、それはどうも、後世の今の(安全な場所にいる)私たちの「記憶」なのではないかと感じました。

 
▼ 教職と編集雑務  
  あらや   ..2018/06/17(日) 10:32  No.602
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大事なことを書き忘れました。

◎創刊当時からの古い同人の不振が目立つようになつた。殊に、「放任」を発表した当時は創作陣の中心であつた御大の針山が、教職と編集雑務に災いされて、こゝ二年間と云うものは、満足に書いて居ないのは何としても寂しい。
 それで、暫くの間(一年の予定)僕が編集を引受ける事にした。その間に、針山は教員の免許を得るに必要な単位もとるし、小説も書けるだろうと云う計算。(尤も、一年経つてみなければ計画通り行くか何うか、わからない訳だが…)
 不慣れな点が多い事と思うが、以前にも増しての御支援を切に御願いする。(渡部)
(「人間像」第34号/編集後記)

渡部さんだって忙しいだろうに…

なんとか針山に書いてほしい、という同人たちの想いが伝わってきて胸が熱くなりました。


▼ 再び「郷土史物語り」   [RES]
  あらや   ..2018/06/02(土) 10:40  No.595
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なぜ「物語」ではなくて、「物語り」なのか?
昔、子どもの頃、PTA文集なんかで、「私しは…」とか「話しをしました」とか書く父兄が時々いたけれど、当時でさえなにかダサい感じがしたものだった。「物語り」にも、最初はそんな感じを受け取ったのだが、デジタル復刻してみて、すぐに気づく。これはもう「物語り」としか言いようのない世界なんだ、と。「物/語り」なんですね。(ロラン・バルトの「S/Z」みたいでカッコいい!)

 懐しい学校は とうに無くなってしまったが
 俺は ときおり
 ところどころ 根太の抜け落ちた母校の廊下を
 こっそり 歩きに行く。 そこには 今も
 立たされたままの 少年の俺の影が遺っていて
 あえかに 忍び泣きをしている。
 (長尾登「母校脇方小学校」)

今はもうなくなった山麓の道を独りで歩いて、私も、脇方へ、メナへ、カシップへ、ペーペナイへ…


 
▼ 東花の開け始め  
  あらや   ..2018/06/02(土) 10:45  No.596
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 明治四十三年、倶知安の人、関口茂平(無門と号し愛媛県の僧)が、留寿都村登に土地の貸付を受けて関口農場を開いた。この関口茂平と清水松五郎は、ある時北海道開拓について語りあった。松五郎の住む群馬県の榛名山の近くの村々は、明治四十三年七月十八・九日に集中豪雨に襲われ、田畑は冠水し、家や家財道具等も流された人が少なくなかった。農地整理の意欲を失った人々は、松五郎の話を聞き、北海道開拓移民手当百円を下付してもらい、持てるだけの物を持ち、家族共々汽車に乗りこんだ。明治四十四年のことである。
 関口茂平は小作人として来道するよう松五郎に勧誘したが、群馬からの移住者はみな開拓者としての来道であった。
(「広報きょうごく」昭和五十一年十二月号/〈郷土史物語り40〉東花の開け始め)

出た!関口。

貼り合わせた五万分の一地図。登延頃の場所に「関口の口車に乗せられて父母が入った地」と赤字で記されていたことを憶えてる。時間さえあれば、大沼桂子さんの『多与』もデジタル化したい。いつかは… きっと…

 
▼ 燈台もと暗し…  
  あらや   ..2018/06/02(土) 10:49  No.597
  長年探していた「北海児童図書博物館」が『郷土史物語り』に眠っていたとは!

 北海児童図書博物館は昭和三年十月四日、御大典記念として、広徳寺住職、江隈円導師が、私費で同寺の境内に設立したもの。
 昭和八年二月発行の郷土誌(京極小学校)には、この博物館の目的として、宗教、普通教育、図書標本の蒐集展覧、計画としては、小学児童成績品展覧会、美術講習、資料貸出、巡回文庫…などと記載している。
 五十年の昔、地方の一町村に私費で児童博物館を設立し、子どもたちの視野を広げようとした江隈師の卓見はすばらしいものといえる。蒐集品には遠い南洋などの貝や民具などもあり、当時の市街に学んだ人々にとっては今も思い出の多いことであろう。
 この博物館の陳列品は後に京極小学校に寄贈され、一部は今も残っている。
 昭和八年頃、京極小学校で作製した東倶知安郷土読本があり、その中に、右の北海児童博物館の一文が目次にのっている。しかし惜しいことに本文は製本ミスで欠落しており、博物館のようすがわからないのは残念である。ちなみに御大典とは今の天皇陛下の即位のお祝いである。
(「広報きょうごく」昭和五十一年十月号/〈京極事始め〉北海児童図書博物館)

 
▼ 北海児童図書博物館  
  あらや   ..2018/06/02(土) 10:54  No.598
  少しだけ言い訳をさせてもらえば、この「広報きょうごく」昭和五十一年十月号の『郷土史物語り・第38回』には(前田克己)の署名がないんですね。
たいていの『郷土史物語り』には(前田克己)の署名が最後に入り、そしてそれらの前田氏の文章は『京極町史』のどこかに反映されているものなのだけど、この「北海児童図書博物館」に関しては『京極町史』のどこにもそれらしき個所がないのです。(それで今まで気づかなかったのですが…)
署名の入っていない回もいくつかあります。それらの中には第44回「子どもと遊び パッチ」のように、明らかに前田氏の言葉遣いとは異なる文章が載っている例もあります。一応、(前田克己)の署名が入っていない回については、他の人が書いたと考えた方がいいのかもしれません。
第38回、文体も言葉遣いもいつもの前田克己氏なので非常に迷うのですが、他の人の筆と考えた場合、可能性が残るのは、同じ『京極町史』編集委員に名を連ねている江隈正氏でしょうか。「江隈」姓から「広徳寺住職、江隈円導師」の家系の方とも思えますし。
今まで調査にはなかったキーワード「江隈家」「京極小学校郷土誌」が登場したことによって新たな展開が少しばかり期待されます。

 
▼ 昭和3年  
  あらや   ..2018/06/02(土) 11:03  No.599
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「昭和3年」は凄いです。岡田健蔵熱望の鉄筋コンクリート建「函館市立函館図書館」(現在の函館市中央図書館)が完成したのが「昭和3年」なんですからね。北海道図書館史の中でも最大級の新発見ではなかろうか。

そして、「児童」という視点もじつは凄いのです。

また岡田は、被災(昭和9年の函館大火)した子供たちの心を癒すため、日本全国に児童書の寄付を呼びかけた。彼の声に応え、日本全国各地から児童書が贈られ、その数は12万冊以上にも昇った。中には台湾や満州などで発行された、日本では入手困難なものもあり、それらは函館の子供たちや学校に配布された後、残りの雑誌、図書は同図書館に保存された。その後の平成期に、かつては図書館や関係機関で長らく収集の対象とならず消耗品扱いされてきた児童雑誌が、後の児童文化や児童文学の研究において資料としての必要性が高まったことから、函館図書館に贈られたこの多数の児童書を中心とし、北海道立文学館により「函館貴重児童雑誌及び児童雑誌附録データベース」が作成された。さらに後の2011年(平成23年)に発生した東日本大震災に際しては函館からの恩返しとして、震災で被災した子供たちに絵本を贈る「被災地の子どもたちへ絵本を送ろう 函館プロジェクト」が開始されるに至っている。
(ウィキペディア/「岡田健蔵」)

北海道で二番目に古い児童雑誌、倶知安で発行された「後志学の友」も、この「12万冊」の中の一冊なのでした。倶知安には影も形もありません。見識がちがうのです。


▼ 郷土史物語り   [RES]
  あらや   ..2018/05/25(金) 10:52  No.591
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現在、『人間像』第34号作業を一時中断して、前田克己『郷土史物語り』をデジタル復刻中です。四月ひと月間、第33号作業を休んで前田克己『後志風土記』に取り組んでいました。これほど長く『人間像』作業を離れたことがなかったので、復帰できるかどうか(気力が落ちてしまうのではないか)不安だったのですが、五月上旬、第33号をいつも通りのペースで仕上げることができて自信がつきました。私はこれでやって行ける。

『郷土史物語り』は、昭和48年〜52年、京極町「広報きょうごく」に連載された前田克己氏のコラムです。当時、『京極町史』の編纂に携わっていた前田氏の備忘録というか、取材ノートというか。俺はありきたりの行政文書の羅列「町史」など書くつもりはない、俺は「町民史」を書くんだいう前田史観の萌芽がすでに表れ始めている力強い文章です。ライブラリーにも進化というものを与えてくれました。第34号に戻ったら、一皮むけているような気がする。

写真は5月16日の裏庭の蝦夷山桜。もうこんなに満開ではないけれど、今日も咲いていますよ。去年の五月を思うと、随分ちがう。


 
▼ 石油ショック  
  あらや   ..2018/05/25(金) 10:56  No.592
  昭和48年(1973年)を復刻していると、思わぬ記事に出会ったりする。

 石油の節約と
      物を大切にしましょう
 新聞、テレビの報道ですでに御承知のように、我国の石油不足は予想以上に深刻化し、国に於ては民生安定のため、石油節約の行政指導に引きつづき明年から電力制限令を発動し、産業用電力などの使用制限を法的に規制するやに聞いております。また現在国会に於ても石油危機乗り切りのための対策が審議されているところでありますが、現実の問題として本町においても例外でなく、特に重油の需要に対する供給の見通しは深刻な状況にあるようであります。
 重油の供給が円滑に参りませんと学校給食、養護老人ホーム、公民館等公共施設の運営、銭湯の経営にも直接影響が出て参ります。
 また、石油を原科とする消費物資も不足を来たす恐れがありますので、町としても公共施設で使用の石油や紙、電力など節約できるものは最大限に節約するようにしておりますので、各事業所、家庭におかれましても、この石油危機乗り切りのため石油の節約は勿論物を大切にするよう心掛けて下さい。
(「広報きょうごく」昭和48年12月号)

翌年が私の大学卒業、就活の年だったんだけど、全国多くの公共自治体に「雇用差し控え」(←採用試験中止みたいなこと)が広がって、北海道の図書館に勤める道が絶たれてしまった。遠い昔の話だけど。

 
▼ 長尾登氏  
  あらや   ..2018/05/25(金) 16:55  No.593
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何時
何処に在っても
私の 魂の奧の磁針は
確かに指し示す――
東経百四十度三十分 北緯四十二度五十分の地を

眠っていても
病んでいても
したたかに酔い痴れていても
その磁針だけは
寸分の狂いもなく 指し続ける
北辺の わが魂のふるさとを

………

全文引用したいけれど、冒頭だけでご勘弁を… 「広報きょうごく」昭和51年9月号の『郷土史物語り』第37回には長尾登氏の「望郷・懐旧」が掲載されています。今月末までには『郷土史物語り』全50回をアップしますので楽しみにお待ちください。

長尾氏の許諾を得ましたので、今日、三作品をライブラリーにアップしました。『望郷少年詩』、いいですね。紙プリントアウトを作って、峯崎さんにも送ろう!

 
▼ 千葉  
  あらや   ..2018/05/25(金) 17:35  No.594
  峯崎ひさみさんは千葉県の人。長尾登氏も現住所は千葉なんですね。この山麓を遠く離れた都会の地から「錦」(←長尾氏はきっちり「カシップ」を使っていますね)や「脇方」を想う…という技が私にはとっても抒情なんです。そして私には、その一方の地が、神奈川でも埼玉でもなく、いつも〈千葉〉なのが不思議なんだな。

思えば、初期『人間像』同人の瀬城乃利夫氏も朽木寒三氏も千葉の人だった。小樽の上澤祥昭氏も移って行った先が、たしか千葉だったと思う。千葉県グループがいなかったら、『人間像』は随分ちがった方向に育って行ったことだろうと思います。いや、多くの「雨後のタケノコ」道内同人雑誌が辿った「三号雑誌」の道を『人間像』も辿ったかもしれませんね。


▼ 「人間像」第33号   [RES]
  あらや   ..2018/05/14(月) 18:14  No.590
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「人間像」第33号のデジタル化、完了です。かかった時間は「43時間/延べ日数9日間」でした。現在、ライブラリーの収録タイトル数は「565作品」。

新同人・丸本明子氏の登場。また、第32号登場の白鳥昇朗氏についても項目を起こしました。これで初期「人間像」同人がすべて揃ったといえます。第48号(昭和33年4月)の小野静子氏登場、第52号(昭和34年4月)の千田三四郎氏登場までは、この同人メンバーで安定化します。私も、ここから第50号記念号のあたりまではこつこつ作業に励むつもりです。



▼ 「人間像」第31号   [RES]
  あらや   ..2018/03/21(水) 15:32  No.578
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「人間像」第31号のデジタル化にかかった時間は「49時間/延べ日数8日間」でした。

少し多めに時間がかかっているのは、漢字読めないから(笑)
「尽瘁」「鐃鈸」「殪れる」「蟠る」「推輓」「嗄れる」「佞臣」「固陋」…
うーん、読めん。辞書引く時間がだんだん長くなってきています。諸橋大漢和が手許にない環境がキツい。学がないのは辛いもんだ。

まあ、このデジタル化作業に限っては、辞書があればいいってもんではないわけで。
その1.旭川刑務所受刑者の誤植。
「力江書院」→「刀江書院」 「眼午の人」→「眼中の人」 …
その2.著者の独特の言葉遣い
「堅実/健実」「間接的/関接的」「非難/批難」「辛抱/辛棒」…
以前書きとめた「ベッド/ベット」もここに入るかな。これら、どちらをとるかの判断にも時間がかかります。作品の味わいってものがありますから。

踊り字を使う人もめっきり減ってきました。「そうだらう」「さふでせう」などの旧仮名遣いも減ってきており、いつか、どこかの時点で「新字新仮名」への切替を考えなければならなくなるでしょう。


 
▼ 平木國夫氏  
  あらや   ..2018/03/28(水) 09:17  No.579
  第31号の大きな進展は、渡部秀正『硫黄山』と平木國夫『ミセス・ターナー』。この二作に尽きるでしょう。渡部氏については「セールスマン文学」の誕生といった意味合いで読書会BBSの方で書きたい。ここでは、平木國夫という作家の登場について。

第31号で平木國夫氏が「人間像」デビュー。第27号の福島昭午氏『鴛鴦』や、第30号での今出力彌氏『オイデイプス物語』もそうなんですが、なにか、草創期の「人間像」同人たちとは明らかに違った才能が集まり始めていることに注目したい。
「人間像」初期の人たちの文学とは、プロレスに例えれば「力道山」みたいな時代の文学に感じます。相撲の稽古でつくったナチュラルな筋肉というか、取組というか、番付というか。
それに較べれば、平木氏や福島氏の文学は、アメリカ修行から帰ってきた「馬場正平」みたいな印象を受けます。フレッド・アトキンスからきちんとプロレスラーとしてのトレーニング法やプロ試合の組立を学んで来たというか。

昨日、平木氏の『借家法』(第32号)のデジタル化を完了したのですが、これ、ちょっと唸りましたね。『支笏湖』だ!

 
▼ Re:平木國夫氏  
  長岡由秀   ..2018/05/02(水) 14:36  No.587
  拝啓。私は、幕末の「生麦事件」の真相を追求している者です。生前の平木氏とは、彼が描いた初期航空史に登場する奈良原家(三次)について、2,3度やり取りしたことがあります。
 現在、私は三次氏、そしてその一人娘である緑子嬢について書こうと考えているのですが、平木氏の遺族とはコンタクトがとれません。「人間像」同人のどなたか、ご遺族の所在をご存知ないでしょうか。鶴見の旧住所にはどなたも住んでおりませんでした。宜しく、お願い申し上げます。

 
▼ 平木國夫文庫  
  あらや   ..2018/05/05(土) 10:44  No.589
  以前、航空ジャーナリスト協会 http://www.j-aja.sakura.ne.jp/ に「平木國夫文庫」があることを聞いたことがあります。


▼ 文芸作品にそびえる羊蹄山   [RES]
  あらや   ..2018/04/24(火) 06:37  No.586
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人間像ライブラリー〈新谷保人〉に『文芸作品にそびえる羊蹄山』をアップしました。

三月初めで『人間像』第30号まで到達できたことによって、いろいろこれからのことを考えることができた四月でした。前田克己作品の許諾を得たことが、さらに大きな追風になっています。去年の四月のドタバタを思えば、なんと心落ち着いた春だろうと有難くなります。

一昨日より第33号のデジタル化に入っています。これからのやるべきことが定まってきた今、毎日の基礎訓練は絶やしてはいけないとの判断です。庭の雪も融けて、雑草との戦いも始まりますし。

パソコンで読めない人たちのために「プリントアウト(作品を紙に印刷)」サービスを考えています。もちろん無料。湧学館時代のように、これを製本するとかなると手間暇がかかって困りますが、ただのプリントアウトなら対応できるのではないかと思っています。もし希望される方がいましたら、スワン社までお手紙くださいね。


 
▼ 倶知安と文学  
  あらや   ..2018/05/04(金) 11:19  No.588
  「文芸作品にそびえる羊蹄山」の翌年(2015年)、倶知安風土館で行った講演「倶知安と文学」の配付資料をライブラリーにアップしました。講演部分は、まあ「羊蹄山」と重なるところもあるし、手書きのメモから文章を起こす暇もないので端折ります。

針山和美氏が登場しない「倶知安と文学」なので長らくアップを躊躇っていたのですが、今回、配付資料をデジタル化したことで自分なりに納得するものがありました。針山氏のいない「倶知安と文学」@〜Bは、むしろ正解かもしれない。針山氏はもちろん「倶知安と文学」ではありますが、その構造がちがうから。従来の何たら文学館的な手法ではその文学構造を巧く解析することができないと思ってます。「人間像ライブラリー」の存在そのものの方が「倶知安と文学C」にたぶん近い。

充実した四月でした。前田克己氏著作の許諾を得たのを契機に、昨年小樽に戻ってきて以来の懸案であった文書類の整理に踏み切りました。現在、ここ二十年間くらいに書いたり集めたりした資料のほとんどが「見える」化され、即座に情報を取り出せるようになっています。「倶知安と文学」デジタル化も、そんな効果の一つかもしれません。

五月の連休明けから、いつもの「人間像」デジタル復刻作業に復帰します。


▼ 前田克己氏   [RES]
  あらや   ..2018/04/11(水) 18:22  No.582
  前田克己氏の著作権継承者の方から〈後志風土記〉掲載の許諾を得ました。まずは、かねてより準備していた「京極文芸」連載の『後志風土記』をアップしています。

後志風土記(一)/京極文芸 第三号(昭和五十年三月)
  明治部落騒動記・性の神々・羊蹄夜話
後志風土記(二)/京極文芸 第四号(昭和五十年十二月)
  墓碑銘由来・曲馬纆之碑・馬頭さん
後志風土記(三)/京極文芸 第五号(昭和五十一年六月)
  富士の見える開拓地 (山梨団体苦闘史)
後志風土記(四)/京極文芸 第六号(昭和五十二年一月)
  幻の魚・テクンベクルカムイ・よたかの思い出・ある開拓夜話
後志風土記(五)/京極文芸 第七号(昭和五十二年七月)
  アスパラガスのふるさと ―二つの発祥碑をめぐって―
後志風土記(六)/京極文芸 第八号(昭和五十三年二月)
  レルヒ中佐の羊蹄登山
後志風土記(七)/京極文芸 第九号(昭和五十三年八月)
  草相撲の人々
後志風土記(八)/京極文芸 第十号(昭和五十四年四月)
  冷水峠・流送・竹山
後志風土記(九)/京極文芸 第十一号(昭和五十四年十一月)
  野の神々
後志風土記(十)/京極文芸 第十二号(昭和五十五年五月)
  山スキーの唄
後志風土記(十一)/京極文芸 第十三号(昭和五十五年十二月)
  飛行機の飛んだ日
後志風土記(十二)/京極文芸 第十五号(昭和五十七年四月)
  旧会津藩士ここに眠る


 
▼ 曲馬纆之碑  
  あらや   ..2018/04/14(土) 11:29  No.583
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初めて『曲馬纆之碑』(「京極文芸」第四号)を読んだ時の興奮を今でも憶えています。次の休日が待ち遠しく、休みの朝、直ちに寿都の法界寺に走ったもんです。そういう威力が前田さんの書いたものには確かにある。
京極文芸同人の間でもかなりの話題になったらしく、「もう一息手を入れれば、ほとんど小説」という声が続出したそうです。
でも私は思うのですが、前田さんの書いたものは、もう一歩の手を誰も入れることができない作品構造なのではないでしょうか。できると思ったら、手を入れてみるといいのです。きっと不細工な作品になってしまうから…あなたにそっくりな。
ある種、〈前田克己〉という人は〈吉村昭〉と同じ資質に感じます。吉村昭も対象にどんどん近づいて行きますが、前田克己氏も必ず対象へ足を運ぶ。じっと見る。耳を澄ます。何かが聞こえる。そこに生まれた一瞬の啓示をそのまま文章に書きとめるのです。こういう文章は手強い。その場にいなかった人はもちろん、その場にいても、聞こえない人には聞こえない。

 
▼ 洞爺丸台風  
  あらや   ..2018/04/14(土) 15:04  No.584
   また、あの番組で、浜中の厳島神社に風神として併祀している小祠の扉を開いて、中の御神体が手に鎌を持っている御姿を放映した。
 そして、あの昭和三十九年の洞爺丸台風の最中に、浜中の村上さん老夫妻は、二本の竿の先に鎌をくくりつけて地上に立て、風上に向かって必死の大声で神を呼び、風の鎮めを祈ったことも語られていた。
(前田克己「後志風土記」/野の神々(三)風神さん)

やー、凄いわ。

今、余市豆本版『後志風土記』のデジタル化作業中なんですけど、思ってもみないところで思ってもみない話に出くわす。何度も読んでいるのに… すいません、ここに「洞爺丸台風」の記述があったなんて全然知らなかった!

『人間像』第32号の発行は、昭和29年11月。そう、洞爺丸台風の直後なんですね。編集後記で針山氏もこのことに触れています。洞爺丸台風、木田金次郎の絵をすべて燃やし、『飢餓海峡』『虚無への供物』などの名作を世に生み出した。私も個人的に大変興味を持っているテーマだったので、第32号の折に触れたいと思ってはいたのだが… 前田克己氏に一本とられました。いやー、凄い技。

 
▼ ♪ 十一州の鎮めなる…  
  あらや   ..2018/04/16(月) 18:45  No.585
   私たちは熊がいなくなったので安心して歩き出した。それでも母は心配であったのか、忠次に私を背負わせて、みんなで大声を出して歌をうたって行こうと言った。たしか「十一州の鎮めなる…」という歌が出だしの北海道歌であったように思う。
(前田克己「続・後志風土記」/熊と卵買い)

〈後志風土記〉の三点、今日、ライブラリーにアップしました。

『続・後志風土記』の最後の最後でこの話を持ってくるところが前田さんなんですね。感じ入った… 涙が出たよ。

自分で言うのも何だけど、いい仕事をしたと思う。こういう〈後志〉をどこか心に残しておかなくては、私たちは何が私たちなのかわからなくなってしまうから。


▼ 「人間像」第32号   [RES]
  あらや   ..2018/04/05(木) 18:52  No.580
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「人間像」第32号のデジタル化、完了。かかった時間は「57時間/延べ日数8日間」でした。

   (没)

やや長い演説を上に昨日書いたのですが、今朝読み返してみて、その自惚れぶりに呆れてしまった。たかだか30冊程度のデジタル化に何浮かれてんだと思いました。まだ何事も成してないのに…と猛反省。

「人間像ライブラリー」の収録作品数が五百タイトルを越えました。現在521タイトルです。著者名索引に「木村不二男」「P田栄之助」の二氏が新たに加わりました。


 
▼ 借家法  
  あらや   ..2018/04/05(木) 18:55  No.581
  第32号の大成果は平木國夫氏の『借家法』。(←「しゃくやほう」ではなく、法律用語ですので「しゃっかほう」と読みます) 針山氏は、平木氏のこの小説技法を取り入れることによって『支笏湖』のような作品をも書ける作家に変身したのだと直感しました。その、平木國夫−針山和美−前田克己の三人を結ぶ意外な作品が『京極文芸』に。

 スミスが余市に来たという記録は見あたらないのに、前記の老人の脳裡にはスミスの飛来として残っているのである。
 だが念のため、スミスが余市に来たかどうか、もう一度確かめてみようと思った。前記北海道新聞の『ヒコーキ物語』の筆者平木国夫氏は『人間像』の同人で、『京極文芸』の針山和美さんと知己であることを思い出し、針山さんにお願いして問いあわせていただいた。その第一点はスミス来余の有無、第二点はスミス以外にその頃余市に飛来した飛行機の有無である。
 しかし、結果は「スミスは余市に飛来せず、それ以外の記録についても不明」との事であった。
 万策尽きてむなしくすごすといった感じであった。
(前田克己「後志風土記J飛行機の飛んだ日」/京極文芸 第13号)

前田克己氏の『後志風土記』は技術的なデジタル化作業は完了しているのですが、現在、著作権継承者に掲載の許諾をお願いしているところです。








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